2009年6月28日日曜日

日本は滅ぶべき

日本は滅んだほうが良い。

海賊行為や山賊行為は、昔は人類の正業だった。海賊山賊が人類の正しい営みとされた時代のほうが、そうでない時代よりもはるかに長かったのだ。

アラビア半島では山賊行為(砂漠で隊商を襲って略奪し、男は殺し、女は奪って楽しんだり売ったりする)は昔からベドウィンの普通の仕事だった。今でもソマリアの海賊は自分たちのことを商売人とは思っているかもしれないが悪党だとは思っていないはずである。

そもそも人間が手に入れられる富は、すべて自然の恵みなのである。人間はいまでも大腸菌ひとつ作り出すことはできない。

たまたま有り余る富に恵まれたとしてもそれは偶然に過ぎない。

ほとんどの人間はその豊かさにふさわしくない。無能で愚劣な人間が富に恵まれても腐らせて自分も堕落するのが落ちである。

優れた人間たちがそのような愚劣さと腐敗から無能者と富を救い出すことには意味がある。

殺戮と略奪は、人類の本来の営みだといえる。

この大原則を日本人は忘れてしまっている。だから日本は滅ぶしかない。

「対等な人間」の商行為や契約関係は人間を堕落させる。それはもともと嘘だからだ。

ところが日本人はそのような関係を普遍的なものだと思い込むほど堕落している。だから日本は滅ぶしかないし、滅んだほうが良いのだ。


商売で得た金より略奪した金のほうが貴いのである。言うまでもないだろう。

商売が貴いのなら買春も貴いとすべきだろう。

その男の有無を言わせぬ「引力」によって無料で「完全な」セックスをする者が恋愛の勝者である。しかしこの「引力」の本体はゲバルトなのだ。

女は正直である。女に聞くと人間の本質がよくわかる。世間で一般にどう言われているかとは別に、実際に女にもてる男、現にヤレル男は、カラダがガッチリした奴、戦闘力のある奴であることが多い。顔が?でもカネがなくても、なぜかヤレルのはスポーツマンか音楽家である。

「うん」と言わせる力、合意を取り付けられる力も、結局はゲバルトなのだ。肉体的力のほかでは宗教に力がある(音楽)。

戦争と宗教こそ人間の営みの基本である。

豊かな土地は自然に存在している。有り余る富や資源も自然が与えてくれる。誰も手につけず腐ってしまうことが多く、誰かが得ても無駄に腐らせてしまうことのほうが多いのだ。


金貸し業が軽蔑されたのは、金利を取るからではなく、自分で取立てをしないからである。取立てはチンピラや、自分が寄生している国家の下役(どちらもほぼ同じことだが)にやらせているからだ。

金貸し業の本質は取り立ての実行力にあるのに、その肝心なところを他人にやらせているから卑しいといわれるのだろう。

しかし取立て屋の峻烈な取立てを見れば、商売(商売はいつも金融と不可分だろう)は何よりゲバルトに依存していることが納得できる。

商売で利益が得られるのは市場があるからではなくてゲバルトを味方につけているからだ。

国家の租税は金貸しの金利以上に不条理なもので、国と何の契約もした覚えはないのに一方的に財布からむしりとられるのだが、租税が存在すること自体を不条理だという人は少ない。

略奪が取引より高貴だとわれわれが自然に考えていることがわかると思う。


略奪と殺戮は、新しい価値を作り出すということも忘れてはならない。

「新しい秩序」を与えるもはいつも戦争であり、略奪と殺戮である。

ルールを与えることは、ルールに従うことよりも貴い。価値を与える者は価値を受け入れる者より貴い。

真にクリエイティブな事柄は略奪することである。ルールを与えて奴隷にすることだ。そこには理由も原因もいらない。それ自体が原因なのである。

民衆の意識や感情をコントロールすることを芸術というが、ルールを与えることがまず芸術なのである。

日本はこれらのことを忘れた腐った奴隷国家なので、滅んだほうが良いのである。


労働は卑しいものであり、労働に価値などない。

凡百の人間でも「苦労」さえすればでき、取替えのきくものに価値があるわけがない。

労働力とは取替えがきくから労働力というのである。

無価値で卑しいありふれたものはいくらでも取替えがきくのだ。

労働力商品の特殊性などというのは、農産物商品の特殊性程度のことである。それは腐るし栽培が必要だ。

人間に価値があると思い込んでいるから、労働力が特殊なように見えるのである。

労働力はいつの時代にも奴隷である。奴隷には価値がなく、奴隷を獲得し支配できることにこそ価値がある。

また、「勤勉」の価値とは、収奪で成り上がった国が収奪批判を迷惑に感じる程度に落ちぶれたときに、われわれは収奪で富を得たのではなく勤勉の力によってを得たのだという物語を作って言い訳するために初めて価値となる種類のものである。

2 comments:

  1. 非常に正しい正論だと思います。 商売を肯定しながら売春は否定できないことも然りですが日本人大衆や欧米キリスト教信者にはそれが訳からない。んまぁそう考えて見るとキリスト教とは弱者を宥めるための思想とも言えますな。

    金融工学を似非科学と咎めている大衆も所詮は妬みの発想で物言っているだけです。 そもそも錬金術とは行かに金を作る能力が有るかどうか納得できるような説明をできるかが問題なのですよね。 その金融モデルに信憑性が有るかが問題でそれを信用するかどうかが問題なのです。 金融工学の大元である計量経済を似非科学という成らば物理工学のモデルも詐欺ですよ。 そもそも数学ってのは言葉で、その数式が神のごときな訳けでは無いんです。 ただ数学の方程式が物理反応を説明できるとしたって、それはそういう言葉で説明ができただけなのですよ・ 無論物理では外れることは許されない、いやそもそも物理や科学のような媒体そのものの存在が一定だから外れにくいというだけ・ 計量経済も金融工学も外れることが有るのは媒体そのものの存在が常に変化しているからです。
    んまぁ科学も一種の宗教ということになるでしょうな。

    労働が美徳という発想もやはり大衆への阿片でしょうな。 濃度を労働に結びつけて置くための念じというか…。 んでも農業技術が発達して、農林水産業が技能職と為れば、今度はサラリーマンや単純労働者へ労働は美徳だという念じを施している訳けです。 この誤った良識に取らわれている中は労働者の権利なんて生まれない。 つまり人民全体が啓蒙に目覚め市民課されることが人間生きる術ですな。 こんな日本の様な農耕民族においてはそれが背徳だと思う節があるんですね。 市民化とはつまりエゴイストに慣ることも含まれているのですよ。 そして市民とはあるいみ街に潜む盗賊でも有るわけです。 このKuantanさんがお書きになった文章の内容が欧米市民社会においては暗黙の了解になっているのですよね。

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  2. 部分的に得心がいくが、総じて得心がいかないのは、この文章は、「実はレーニンは腹の底ではそう思っていました」という文章に見えるから。(私はアカが嫌いなので)。

    私がそう感じるのの一つは、この書き手が「労働」の中の微細な「よろこび」を語れないあたりだと思う。
    これ、総じてインテリの悪い癖。「机上の空論ですから」と割り切られるなら、まぁ仕方が無い。
    本当に奴隷を支配するならば、奴隷についてもちゃんと知って、奴隷が大人しくなるように納得させておかないと、支配している最中に反乱起こされたら、鎮圧する運動量も物凄いし、ヘトヘトでボロボロになります。

    ここで「じゃあ労働の喜びって何や!」と逆に尋ねられたら、お答えする文字数がちょっとしんどいですが。
    わずかに例を挙げるならば、ちょっと人より上手に作業ができて、モノが完成したら「悦に入る」とか、諸々、「悦に入る」までの積み重ねの中で、神経を研ぎ澄ましている自分の中で起こっている出来事を、なかなか言葉では表しにくいです。
    正直、「分かる人にしか分からない」「やった者でないと分からない」味わいの領域。
    奴隷のその味わいを保護できない人は、奴隷の支配者にはなれないと思います。
    ただ暴力と弾圧だけで言うことを聞かせるという芸当では通じない奴隷も、相当数いるはずですから。
    また、それで言うことを聞く奴隷は、奴隷以下で、奴隷としての役割も担えない、相当なアホのはずです。


    ただ、私は日々を「営み」として捉えて「労働」と呼ばないとしたらば、広い意味で「労働に価値はない」と言い切ってしまうのも、ありかなぁ、とは思いつつ。拡大解釈か誤解なのかもしれませんが。
    この記事の行間を埋めるのも、多分大変な作業なんでしょう。

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