「ありがとう」と声をかけると水がキレイな結晶になる。ご飯が腐敗せず発酵する。
分かりきったことですね。
経験的には、水に言葉をかけたり、手をかざしたりすると、水がまろやかになると「感じる」ことは確かにあります。
もちろんそれは自己暗示です。
人間が生きていくうえで暗示の力が強いことは確かですが、暗示はあくまで暗示です。
ある人が一生観音様を信じて生き、まったく疑いを持つことがなく、観音様を信じながら死んだとすれば、その人にとっては観音様は存在したといえます。
しかし、客観的には存在していません。
観音様を信じることで楽に生きられ、楽に死ねたとすれば、それはそれで尊重されるべき生き方でしょう。しかし、それを「真理」であるかのように説くことはもちろん間違っています。
私は世の中はプラスとマイナスで成り立っていると思っています。もちろん、これも一応の考え方に過ぎません。
プラスだけが存在するということはない。ここにプラスがあればどこかにマイナスがあります。ポジがあればネガがあります。
ポジティブ思考や、ポジティブ誘導的な「エネ遊び」の類によって、一時的にプラスを寄せ集めることができたとしても、それは無理にそこに寄せ集めているだけであって、永続性はないと思います。
(こういう考え自体がかなり観念的でしょうが、私はもともと観念的です)。
「ありがとう」があれば、その分どこかに「ばかやろう。てめえ死にやがれ」があるはずだと思います。
あまり「ありがとう」ばかり言っていると、(実験してみるといいと思いますが)どこかで「ばかやろう」と叫びたくなるのではないでしょうか。
ポジティブ思考で人生がうまくいくという考え方は、「ねずみ講」のようなものだと思います。無理が出る前にトンズラしてしまえば、つまり、死んでしまえば、上がりで成功、という仕組みだと思います。
プラスがあれば必ずマイナスがあるのであり、ポジとネガの危ういバランスの中で何とか凌ぎながら生きていくのが人間の自然な正しい生き方だと私は思っています。
なお、日常生活において、水に「ありがとう」と声をかけると水がまろやかになったり、発酵がうまく行ったりすることは、確かに「経験」はします。もちろん実証はできません。
そういうことはちょっとやってみると面白いものですが、そういう「エネルギー遊び」の類は、罰当たりなので妄りにやらないほうがよいと私は思います。
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